数字で振り返る30周年


今年でSUPER GTは30周年を迎えました!
30年の歴史の中で何があったのか?どんなレースがあったのか?
それを紐解くために1994年から2023年まで全レースのデータを総調べ!

みなさん、あのときのこと覚えていますか?
SUPER GT初心者の方も昔はこんなことがあったんだ!という新しい発見を見つけてみてください!

今回は、レース業界35年!レーシングカーを売っていたこともあれば、チーム監督やマネージャーをしていたこともある、SUPER GTは16シーズン目のスタッフに当時のことを聞いたコメントも一緒にお届けします!

総走行距離:約82,100㎞、総大会数:242大会



総走行距離はなんと地球2周分!
1994年~2023年まで242大会行い、30年目の2024年は8大会予定しているのでRd.8もてぎ大会のときにはちょうど250大会となります!
かつては2&4レースを鈴鹿サーキットで行ったり(2009 AUTOBACS SUPER GT 第2戦 KEIHIN SUZUKA 2&4 RACE)、
岡山・富士・鈴鹿・SUGO・オートポリス・もてぎ以外のこんなサーキットでも開催したことがあるんですよ。

<20年以上前にレースを行っていたサーキット>
仙台ハイランドレースウェイ:宮城県(1994年~1998年、全5回)
セントラルパーク MINEサーキット:山口県(1994年~2002年、全9回)
セントラルサーキット:兵庫県(1996年)
十勝スピードウェイ:北海道(2004年)
カリフォルニアスピードウェイ:アメリカ合衆国(2004年)

ちなみに、242大会中1番開催が多かったのは富士スピードウェイ(66回)でした。
初年度から複数開催していた富士スピードウェイがあったからこそ今のSUPER GTへ発展できたのかもしれません。

※All-Star戦やSPRINT CUP等スペシャルレース、台風の影響により開催しなかった2010年Rd.7富士大会含む。

仙台ハイランドレースウェイは当時主戦サーキットとして栄えていてJGTC以外にも全日本ツーリングカー選手権や全日本F3選手権など様々なレースを開催していました。SUGOとあわせて宮城県で年に2回レースがあった時もありましたね。
山口県にあるセントラルパーク MINEサーキット(西日本サーキットと呼ばれていた時代も)は良いサーキットでした。サーキット自体もそうですが、雰囲気が個人的に好きでした。サーキットの中にある食堂のうどんとおにぎりのセットがシンプルなんですがすごくおいしかったのを覚えてます。



決勝日サーキットに来た人の総数:約850万人、決勝日の最大観客動員数:75,168人



サーキットに来た人の総数は香港の人口(750万人)よりも多い約850万人!
決勝日に1番観客動員数が多かったのは2014年にタイで行われたAUTOBACS SUPER GT Round7 BURIRAM UNITED SUPER GT RACEに75,168人の人が訪れました。

2014年のRd.7は初めてタイでレースを行ったので、その注目度も高かったんだと思います。
レースだけでなく、サーキット会場の敷地内で色々な催しも一緒にやっていてとても賑やかでした。
スポット参戦のポルシェがとても速くてポールポジションを取っていましたね。
たしか日本のレースでは使っていないスペックのミシュランタイヤを履いていたせいかとても速かった印象です。初開催でしたしタイの方々にSUPER GTを楽しんでもらうためにも良かったと思います。
タイでのレースは2014年~2019年まで行っていましたが、タイはご飯がどこで食べても美味しかったですね。バンコクの空港からサーキットまでは観光バスで移動するのですが、日本からタイまでのフライト時間と同じ7時間ぐらいかかるのでとても大変でした。今となっては良い思い出です。



最年少チャンピオン:ニック・キャシディ選手(GT500)大嶋和也選手(GT300)
最年長チャンピオン:ジョン・ニールセン選手(GT500)鈴木恵一選手(GT300)




キャシディ選手は平川亮選手と同年に同じ23歳でGT500のチャンピオンに!
誕生日の数か月の差でキャシディ選手が最年少チャンピオンとなっています。
大嶋選手はなんと20歳6か月4日でGT300のチャンピオンになり、SUPER GTのチャンピオンの中でも最年少の記録を残しています。
そして最年長チャンピオンはGT500,GT300共に40代!
GT300最年長チャンピオンはなんとあと5か月で50歳になる鈴木恵一選手、当時49歳7か月で2度目のチャンピオンとなりました!

キャシディ選手はいきなり速いドライバーが現れた!と思いました。彼は2015年にGT300のRd.5SUZUKAでTEAM UPGARAGE with BANDOHのドライバーとしてデビューし、その翌年にGT500に昇格してチャンピオンを取っていました。今はFormula Eで活躍されていますね。
大嶋選手は同じ年に全日本F3選手権にも出走していて活躍していましたね。GT300のチャンピオンになった2007年は石浦宏明選手とチームを組んでいて、高橋一穂選手・加藤寛規選手とドライバーズチャンピオンのポイントが同点でしたが、大嶋選手・石浦選手組の方が優勝回数が多かったのでチャンピオンに輝きました。
最年長の二人はどちらもルマン24時間レースを始めとするスポーツカーレースやツーリングカーレースなどでも活躍した経験豊富なドライバーですね。
デンマーク出身のニールセン選手は1996年しか参戦していませんでしたが、乗っていたマクラーレン・F1-GTRは当時市販車としても販売されていて、中央に運転席があり左右に1席ずつ助手席がある独特な車でV型12気筒エンジンを搭載しているとても速いマシンでした。前年(1995年)のルマン24時間レースも制しています。
鈴木選手は最年長チャンピオンとなった年、館信吾選手と組んで6戦5勝という圧倒的強さでチャンピオンになりました。
個人的な話ですが、鈴木選手が80年代にマイナーツーリングカーレースで走らせていた黄色いKP61スターレットのファンでした。



僅差の勝利 GT500:0.025秒、GT300:0.091秒



GT500は2010年のRound5 SUGOでの #17:KEIHIN HSV-010 と #18:ウイダー HSV-010の0.025秒差、
GT300は2017年のRound3 オートポリスでの #25:VivaC 86 MC と #61:SUBARU BRZ R&D SPORT の0.091秒と
トップと2位の差最小は、GT500・GT300共に1秒以内の差という激戦でした。
1秒以内の差のレースはGT500では28回、GT300では24回もありましたが、GT500で0.1秒を切るレースはSUGOだけでした。
これもSUGOにいる魔物が・・・・?

SUGOはサーキットのレイアウトからかそういったレースが生まれやすい印象を持っていますが、2010年のレースは現地で見ていても肉眼ではどちらが勝ったすぐにはわかりませんでした。最後の上り坂で前を行く18号車(ウイダー HSV-010)が周回遅れをかわすためにちょっとだけ減速したことで、最後まで諦めずにプッシュし続けた17号車(KEIHIN HSV-010)にチャンスが生まれたんだと思いました。



リタイア台数最多のレース:18台、最長のレース時間:6時間4分10秒983



2002年10月26日、27日に行われた第7戦CP MINE GTレースは、スタート前気温13度、路面温度16度という気温の中でスタート。
その影響か、タイヤ交換後に温まらないタイヤが原因でコースアウトや接触が多発してしまうことに!
結果的にスタート時44台いた車のうち、チェッカーを受けたのは26台と18台がリタイアする厳しいレースでした。

最長のレース時間となったのはやはり鈴鹿1000km!13時に開始したレースが終わったのはなんと夜の7時過ぎでした!

SUPER GTの鈴鹿1000kmは2006年〜2008年までの3回、2012年~2017年の6回と計9回開催されています。2006年~2008年は1000kmか最大延長時間までのどちらか早い方でレース終了で、2006年と2008年はどちらも6時間以内でレースが終了しています。2007年はレース中豪雨に見舞われたこともあって6時間を超えてしまったのでしょう。

SPECIAL TOP